妻とはじめて出会ったのは、アートセンター時代です。姉の友達が来るというので迎えに行くと、おっとりした感じの女性が自分の財布を差し出して、これで案内してください、と言いました。日本からのお客をアテンドすることは多かったのですが、貧乏学生のガソリン代を心配してくれた人ははじめてでした。

数年後にランドーで働く私を再び彼女が訪ねてきました。オークランドで英語を勉強するということでした。1週間で結婚を決めました。その後ずっと仲良く暮らし、仕事でも大いに支えてもらっているので、このときの即断もまた、私の人生にとって欠くべからざるものだったと思っています。

長男が生まれたとき、家族を守らなければいけない、という強い責任感を感じました。アジア系が少ないランドーで働き続けていていいのだろうか、日本で仕事をしたほうがいいかもしれない、と思うようになったのです。渡米して16年が経っていました。

ランドーとしても、日本のクライアントのCI展開のために誰かを日本に送りたいというニーズがありました。そこで、私がランドージャパン(現アイデックス)に出向しました。翌年、100パーセント出資のランドーアソシエイツ・インターナショナルが開設され、私はそちらに移りました。そのころから日本はバブルに突入し、大成建設やJTBなど大手企業の仕事がどんどん入ってくるようになりました。

8年ほどして、私は同社の副社長になりました。アメリカのランドー本社も変わってきていました。M&Aが進み、クリエイティブヘッドの会議でもデザインより経営の話が中心になり、昔の仲間たちも独立して、ランドーは私が入社したころとは違う会社になっていました。その流れのなかで、経営はパッケージに力を入れなくなっていました。

会社を代表するマークをつくるCIは大事な仕事であり好きでしたが、私はもっとパッケージをやりたかった。熟考の末、ランドーを離れてブラビスを立ち上げることにしました。